まちづくりミッション

これから、まちづくりに関して、定期的に「ELC まちづくりミッション」を発信していこうとしているわけですが、ここに至った背景が二つあります。

まちづくりと人間の心理

 ひとつは、大学卒業以来私が仕事の上で体験してきたことです。大学を出てから私は、最初の10数年間は大手の設計事務所で、その後は独立してさらに10数年、ほぼ30年以上に亘って都市計画の仕事をやってきました。とりわけ、各地の市街地の再開発、あるいは密集市街地の改造ということを一貫してやってきました。まず地域をどうやって住みよくしていくかという基本計画(マスタープラン)を作り、そのあと事業計画を練って具体的に事業を進めていく仕事です。総論を地元に提示したあと、次に各論に入っていきますが、地域の皆さんはだいたい総論は賛成です。自分の街が良くなるのですから。ところが、各論に入るとだんだん反対というのが出てきます。つまり、自分の権利や財産がどう評価されるのかという時にこんなに安いのはおかしいとか、噂ではあの人のほうが高いらしいとか、そういう自分勝手な思い込みの主張が出てきて、条件闘争が始まったりします。このような事業推進の過程で、私はさまざまな人間の欲望や執着、そして人間関係の葛藤等、いろいろ見たり体験したりしてきました。

それらのどろどろとした人間的属性と戦いながらも、いろいろ紆余曲折を経て、最終的に皆さんの合意形成を得て、その地域が再開発されていきます。こうやって一つの街が再生するまでに、10年、場合によっては20年かかったりします。このような市街地の再開発事業を、私は東京都の文京区から始まって、荒川区や板橋区、中野区、等の都内各所、さらには地方都市の中心市街地でもやってきました。

そういう過程で気づいたことは、結局、街はきれいになってもそこに住む人の意識が変わらないと、街は本当の意味で再生したことにはならないということでした。悪戦苦闘の末、地域の意見がまとまって工事に着手し、何年間かの工期を終えてようやく街がきれいになっても、その後のビルの使われ方を見ていると必ずしもこちらの意図したとおりにはなっていない。工事期間中の借り住まいを終えて、地域に戻ってもう一度住み始めたり、営業し始めたりした皆さんの住まい方や、営業の仕方を見ても、過去独善的であった人は再開発後も独善的であり、また事業の過程で強欲だった人はやはりその後も強欲でした。一方事業の過程で極めて協力的で全体のまとまりを大事にする人は、再開発後も協力的でした。

例えば、自分の権利を最優先で主張し、ビルの中で一番好い場所をもらえなければ自分は再開発には賛成できないと強引だった人は、ビル完成後入居して売上があまり伸びなかった場合には、やはり人のせいにしたり、設計のせいにしたりで、決して自分に問題があるとは認めませんでした。一方、事業をまとめるために、「私はもう年を取っていますから、新しいビルの中の場所は少し奥の方でいいです」と、もともとは一番条件の好い場所にいたにもかかわらず、再開発後はビル全体の繁栄を考えて、こちらの提案を飲んで奥の方に入居して、事業に協力してくださった方は、その後も周りの方の人望を集めていました。

街を健全に成り立たせているのは、建物のデザインや店舗の外装もさることながら、じつはこうした地域の皆さんの健康的な心なのだと気づいた私は、地域でのコミュニティのあり方や人間関係のあり方などについて、もう少し真剣に考えていかなければならないと思い始めました。そうしないと、まちづくりは本当の意味で生きたものにならないのではないか。また建物も良い使い方はされないし、本当のコミュニティもできないのではないか。そういう問題意識が出てきました。

権利調整すなわち心理調整 

 その頃から盛んに「街の再開発から心の再開発へ」ということを口にするようになりました。もう20年以上前のことです。空間的な再開発も大事だが、それ以上に心の再開発も大切だという趣旨です。幸いにして、いろいろな地域で地権者の皆さんの権利調整を数多くやるうちに、権利調整の本質はじつはその奥底にある人間関係の調整や人間心理の調整なのだと実感できて、関心がそちらの方に移っていきました。そして人の心理というものも大分読めるようになってきました。またそういう自分自身の体験を、心理学や精神世界の本で裏付けて自信を持ったことも、心理分析に傾斜していった要因でもありました。都市再開発の本質は心の再開発でもあると体験的につかんだので、これを理論的にも検証していったわけです。いま都市の再開発をやるなら、人間の心を深く理解しなければならない。これがひとつの背景です。 

かたちと精神  

 そしてもうひとつの背景は、私自身の価値観の問題でもあります。私の、大学の卒業論文のテーマは「空間と精神」というものでした。このテーマで何を論じたかといいますと、人間の創った建築や都市空間が人間の意識とどういう関係にあるのかという極めて哲学的なことでした。すなわち、ある空間が生み出されるということは、それが建築であるにしろ、都市であるにしろ、それに先立つ設計者あるいは都市計画家の思想、およびその時代の精神というものが先にあるという考え方です。そして、その空間は、一旦出来あがってしまうと、今度はそこに住む人々あるいは利用する人々に何らかの精神的な影響を与えていきます。 その関係を、西洋の歴史においては、キリスト教の教会建築を中心として掘り下げ、東洋においては、仏教の寺院あるいはインドのストゥーパを取り上げて考えました。宗教建築がこういう因果関係を考えるのにもっともふさわしいと思ったからです。結果的にわかったことは、単純化して言うなら、キリスト教の教会建築は、明らかにキリスト教の天国志向によって、外部空間としての尖塔や内部空間としての会堂が大きな意味を持ち、それらの空間が出来あがると、今度はその尖塔や会堂が人々を信仰に導くのに大きな役割を果たす、という相関関係がはっきりしているということでした。一方、仏教建築の方は地域によって多様性があり、厳しく異端を排除してきたキリスト教と違って、いかにも仏教の寛容性を感じさせる空間でした。つまり、仏教寺院の外観も内部空間も、いずれもキリスト教ほどには緊張感のある空間ではなく、現世と融和した空間であって、ある意味で誰もが修行によって仏に近づくことができるという仏教の教えに則った空間でした。 おそらく、宗教建築ばかりでなく、いかなる建築も都市も、このようにデザインと人間の心との相関の中で、歴史的に存在して来たことは間違いありません。近現代になって、なかなかそれが感じられないのは、科学技術の発達によって、人間の精神というものが一歩後退してしまっているからで、本質的にはこの因果関係は変わらないものというのが、結論でした。 少し難しい話になりましたが、要は、人間の精神は建築や都市空間とは切っても切り離せない、深い関係にあるということです。仏教ではこれを「色心不二」といいますが、これが二つ目の背景です。 

まち再生とは、ひとの再生  

 このような二つの背景があって、こういうメッセージを発信していこうと思い至ったわけです。そこで、これから私自身の体験に基づいたまちづくり論や人間心理の理論を展開していきますが、この中において、まちづくりの過程で出会ったさまざまな方の具体的な事例をたくさん引用していきます。まちづくりと同時に心の改革に成功した人たちの事例です。ビジネスマンの体験もあれば、主婦の体験あり、商店の経営者の体験ありで、さまざまです。しかも、その事例は、「ゆるやかな心の改善」的なものから、別人になったかの如く飛躍する「根本的な心の改革」までいろいろですが、いずれも心の変革が結果的にそのまちづくりに結びついて、まちの再生に貢献した人たちの成功例です。

 シンクロニシティ(共時性)  

 (株) ELC JAPANは、まちづくりもモノづくりも、そして人づくりも夢づくりも、すべて深いところでつながっていると考えています。すべてがシンクロニシティ(共時性)の世界にあると考えています。このメッセージを通して、そういうことを感じ取っていただければ幸いです。 


代表の略歴 代表取締役 細川勝由 1945年生。東京大学法学部及び東京大学工学部都市工学科卒業。技術士(都市及び地方計画)。 大学卒業後、(株)日本設計入社。その後独立し、(株)日本再開発マネジメントの設立(代表取締役)をはじめ、いくつかの会社経営を経て、現在は(株)ELC JAPAN を設立し、代表取締役就任。大学卒業以来、都市再開発のコンサルタントあるいはプロデューサーとして、東京都内を中心に、数多くの都市再開発事業を手がけてきた。最近は、「都市再生」と「心の再生」を両輪に、超高齢化社会に向けての、まちづくりと生きがいづくりについて、実務のみならず各種提言や研修もおこなっている。 


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