まちづくり、人づくり(その1)

まちづくりと人の心  

 ある地域で、再開発事業に取りかかったころのことです。最初は地域の皆さんで、協議会という組織を作って再開発の勉強会をしていました。ひと通りの勉強も終わって、いよいよ準備組合という任意の組織をつくり、具体的な施設計画や事業計画の検討に入ろうということになりました。任意の組織とはいえ、具体案の検討ですから、手順を踏んで地権者の皆さんの了解を得ながら進めていかなければなりません。  

 早速に、大まかな測量や建物調査をすることになりました。誰が住んでいて、どういう権利関係で、借家人がいるのかいないのか、営業状態はどうなのか、などですが、最初の調査ですからあまり立ち入った内容にはなりません。まだコンサルタントとの信頼関係がそこまで出来ていませんから、慎重にやり始めたわけです。そういう中で、再開発に対してはあまり乗り気ではない立ち食いそば屋さんがいました。乗り気ではなかったのですが、準備組合を作るのは反対しないし、測量や建物調査ぐらいはしてもいいよと言ってくれていました。  

 ところが、順番が来て、その立ち食いそば屋さんの測量をしようという段階になって訪ねたところ、「俺のところは、ほっといてくれ」と、態度が急変しました。「おかしいな、今まではそれほど強烈な反対でもなく、結果だけ教えてくれたらいいという状態だったのに、どうしたのでしょうね」と準備組合の役員の人たちと頭をひねりました。  

 なにがあったのだろうと、話し合っているうちに、その人に関わるいろいろなことがわかってきました。そのそば屋さんは、過去にその商店街の役員をしていたことがありましたが、酒癖が悪くて商店街の旅行のたびに、飲んで暴れて旅館のテーブルや食器を壊して、みんなに迷惑をかけたので、役員から下ろされてしまっていたということがあったのでした。もともと人付き合いのあまりいいほうではなかったのですが、その後はますます近所とは付き合いが遠のいてしまっていたのです。  

 たぶんこの立ち食いそば屋さんは、役員を下ろされたという過去の古傷があったために、機会があればいつかはまた地域の役員になりたいと思っていたのでしょう。なぜなら、その準備組合の役員の決定があった頃から、彼の態度が急変したからです。言葉には出さなかったのですが、自分ももしかしたら役員の声がかかるかと期待していたのかもしれないのです。考えてみれば、自分の中学の同級生が役員に入り、さらに後輩までが理事長になったのに、自分は全く蚊帳の外に置かれたので、寂しい思いをしたのかもしれません。   

 「そうか、彼も役員に入れてやればよかったなあ」と他の人たちが気づいても後の祭りです。その後は事業が進むにつれて、ますます態度を硬化させ、そのうちに「強引な再開発反対」という看板まで、自分のお店の前に出すようになってしまいました。 

心の奥にある反対の理由  

 さらに、深い事実もわかってきました。この人の父親という人はとても怒りっぽい人で、いつも彼を怒鳴っていた。だから中学時代は、一見おとなしく見えたけれども、何か気に入らないことがあると、すぐにかっと来るタイプであまり親しい学校の友人もいなかったということでした。  

 そういう人は当然、屈折した感情を心に持ちながら大きくなります。とくに父親に認められてきませんでしたから、自分の出番を求めています。誰かに認められたいという思いを持ちながら、大きくなっています。  

 再開発事業における地権者の方への対応というのは、このように一人一人の心理を読んでいかないと、うまくまとまりません。もし、このそば屋さんの過去の事実をもっと深く事前に知っていれば、もう少しうまい対応ができ、この方をここまで窮地に追いやることがなかっただろうと反省しきりです。  

 街づくりにおいては、最初のボタンの掛け違いが、あとあとまで尾を引き、次第に感情的な反対になって、やがてどんな条件を出されても受けいれないという事態まで進んでしまうのが現実なのです。なぜそうなるかというと、通常はこのような心理を深く読むところまでいかずに、この人は反対だから、あまり事を荒立てないでおいて、最終的には少し金でも積んで押し切っていこう、という方向に行きがちだからです。  

 しかし、もしこの人がみずからの欠点に気づき、みずから人生の修正ができたら、それこそ自分から再開発賛成となるはずです。地域の人とも協調した気持ちの良いまちづくりが可能となるはずです。まちの再開発と同時に、自分自身の人生の再開発も可能となるからです。真のまちづくりもそこまでできていくと、本物になるのではないでしょうか。ゆえにまちづくりには、心理学も必要だと思うのです。  

 このように、主体的な人生を生きる人たちが集まってはじめて、活気のあるまちづくりが可能になると思います。そのためには、各人がその事業を通して、みずからの欠点に気づき、みずからがその欠点を修正していくということが必要になってまいります。まちづくりは、人づくりでもあるというわけです。    

 ところで、みずからを修正するには、原因を自分に求める内省的方法による場合と、日々の行動に重点を置く目的志向的な方法による場合と、大きくは二通りが考えられます。これから、その二つのケースを取り上げてみます。まずは自分に原因を求める場合として、一人の落ちこぼれ青年が、会社を救い、地域活性化のきっかけとなった話からはじめます。 

原因は自分にあり  

 数年前になりますが、ある市のまちづくりで、20代後半の青年と知り合いになり、時々相談に乗ってあげたりしていていました。その彼がある時、住宅関係の部品を作っているメーカーに転職をしたという話を聞いて、良い会社に入ったなと思っていたのです。たまたまその頃、彼に会いましたら、「私も良い会社へ入れてよかったです。残業も苦になりません。夜の9時、10時まで働いているんですけど、全然残業が苦にならないんです。」と言って喜んでいたのです。それがその年の9月ごろでした。ところがそれからちょうど3ヶ月ほどして、年末私のところへ電話がかかってきました。「ちょっと会ってほしい、相談したいことがある」と言われて、何だろうと思って会ったのです。もう年末ぎりぎりの12月29日だったと思うのですが、「何?」と聞いたら、「今の会社辞めたくなった」というのです。「え?あんなに喜んでいたじゃないの。あんなに良い会社に入ってよかったって喜んでいたじゃないの。どうして?」と聞いたところ、「ええ、最初はそうだったんですけど、入って2ヶ月ほど経ったころ、経理の女性から会社の経営内容を聞いちゃったんです」というのです。その会社は、大きな借金を抱えているということがわかった。それから、粉飾決算もしているらしいということまでわかった。そしたら途端にやる気がしなくなったというのです。社長を信用してこの会社に入ったのに、その社長に対して不信感が出てしまったという。でもはじめのうちは、「いや、こういう考えじゃいけない。今日も頑張ろう」と、朝の出掛けに思い直して、会社に行くのだけれども、会社で社長と顔を合わせると、「この社長の借金を返すために、働いているのか」という思いが出てきて、途端にやる気が失せてしまう。一日終わるとぐったり疲れてしまう。という状態が1ヶ月近く続いて、もうこれ以上は続かない、そう思って、それで私の所へ相談に来たのでした。  「でも、いまどき会社をやめても景気が悪いから、すぐ再就職するのは難しいんじゃないの」と私は言ったのですが、「もうこれ以上は続けられません」と言って、受け入れないのです。「じゃあ、君は今の会社を辞めてどんなことができるんだ」と聞いたところ、ずっと営業しかやってきていないというのです。しかも、彼はその時28歳だったのですが、大学を出てから4回転職をしているのです。大学出て6年しか経っていないのですが、4回転職をしているのです。  

 どうしてそんなに転職したのかと聞いたら「上司に恵まれなくて」というのです。最初入った会社は、猛烈サラリーマンというのでしょうか。仕事、仕事、仕事の部長で、もうとにかく仕事しかやらない人で、身体が持たなくて辞めましたというのです。2つ目はと聞いたら、2つ目の上司も、すぐカッとくる人で、怒りっぽくて、怒鳴られてばかりで、自分の神経が持たなくて辞めましたと言いました。3つ目はと聞いたら、3つ目の上司は、話題が低俗でついていけなかった。いつも「飲む、打つ、買う」そんな話題ばかりでついていけなかった。尊敬できなくて、辞めましたというのです。4つ目はと聞いたら、やたら細かい上司で、ちょっとミスをしただけで、あぁでもないこうでもないと、重箱の隅を突っつくような細かいことをいわれて、いつもピリピリしていなければならなくて、ここも辞めましたっていうわけです。 

心の傾向性に気づく  

 「じゃ、今度も同じだね」と私は言ったのです。そうしたら彼は「いや、今度は違うんです。今度は社長が私をだましていたんです。私に本当のことを言ってくれなかったんです。こんな借金抱えているなんて知りませんでした」と言います。「でも、会社の事情、社長の事情はあるかもしれないが、私から見たら、社長とあなたの関係は今までと同じにしか見えないよ」と言っても、彼はそうじゃないと言い張る。しばしそういうやり取りをしたあと、「ところで、君はお父さんとどういう関係なの?」と聞いたのです。そうしたらぽろっと、「私は父を憎んでいます」というのです。じつは、小学校までは彼は父親と仲が良かった。ところが中学一年のときに父親が浮気をしたというのです。その浮気がばれて、お母さんがそれを悲しんで自殺未遂を計った。で、彼が言うには「そのとき自分は、この父は絶対ゆるせないって思いました」と。それ以来1日も早く父親から離れたいという思いで過ごした。父親に対する反発と憎しみ、そういう感情をずっと引きずって生きてきた。それで、大学を出たらすぐに親元を離れて就職をした。ところがうまくいかなくて、その後4回転職をしたと、そういう経緯だったのです。そこで私は彼に言いました。「あなたは今の会社を辞めてもう1回再就職をしても同じ事を繰り返すよ」と。「必ずまた上司とぶつかるよ」と言ったのです。  

 どうしてかというと、「あなたの心には父親に対する反発心、憎しみがあるから。父親に対して憎しみを持っている人は、会社で上司に対しても必ずそういう目で見てしまう。必ずまた反発するよ」と言ったのです。だから、この会社を辞めてもう1回再就職するのなら、父親と和解しない限り、私は君の再就職は賛成できないないと言った。彼はたぶんそれでピンときたのだと思います。わかりましたと言っていました。ちょうど年末年始の休暇中だったので、すぐ実家に帰って父親と話をしてみますと言って別れました。  

 それから2週間ほどして、1月の半ば頃です。彼から電話があって、ちょっと報告がしたいというので会ったのです。聞いてみるとお正月休みに実家に帰って、父親と三日三晩酒を飲みながら話をしたという。そうしたら、父親にも父親なりの理由があった。父親も辛い人生を歩んできたのがわかった。ちょうど浮気事件を起こした頃は、会社が倒産の危機にあって、非常に辛いときで自分の気持ちもすさんでいた。済まなかったと、父親も謝ってくれた。そうしたらなんかぽろぽろ涙が出てきて父親を許せる気になった、というのです。父親の辛かった人生を理解できたら、許せたという。  

 それで、最後は和解して帰ってきましたという報告をしてくれたのです。私も嬉しかった。それからさらに2週間ほどして、まちづくりの会合で、彼が勤めている会社の社長とたまたま会ったら、「いやー、良い青年に入ってもらいました」というのです。つい2、3日前も彼とゆっくり語り合って、「この会社を、ふたりで頑張って日本一の会社にしよう」と、午前3時くらいまで話し合って涙々だったのだと社長が報告してくれました。その後彼は一所懸命また営業に精を出しました。新製品の売り上げにも貢献できて、会社が発展しはじめたのです。その発展の話は、自然にその地域の人たちに伝わっていきました。私もその話をその後、人づてに聞いたのでした。


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