情熱が危機を救う

再開発の危機  

 これまでの仕事の中で、一人の情熱が街づくりを進めていくのだと、実感することが何度もありました。特に印象に残っているのは、ある都内の再開発地区でのことです。私にとっては、ごくごく駆け出しのころの体験です。  

 再開発事業を推進して行くには、できるだけ早いうちにディベロッパーを決めなければなりませんが、その地区では再開発後のポテンシャルがあまり無くて、民間のディベロッパーはほとんど興味を示さず、結果的にある公社がディベロッパーとして参加することになりました。自治体から請われて仕方なく参加したという状態のスタートです。  

 何とか計画も進み、地権者の人たちへの具体的な数字の提示となった段階で、どうしても賛成できない人が出てきました。これでは、自分は賛成できないと、ゴネ始めたのです。しかし、基本の条件はみな同じです。その人だけ特別扱いするわけにはいきません。膠着状態が続いているころ、計画地の裏側の近隣から、某公社(ディベロッパー)にクレームが入りました。地元でも賛成していない事業を強引に進めて、近隣に迷惑をかけるのは許せないと匿名の電話が某公社に入ったのです。内部の反対だけでなく、近隣からも反対の声が上がり、しかも、地区内部の地権者が近隣と同通して、反対を煽っているということが明らかになってきました。  

 某公社としては、このように、内部からも外部からも反対が出てはもう事業協力は続けられません。地元で緊急説明会が開かれ、その席で某公社がこの事業から撤退すると言明したのです。「このように、内部の反対者が外部と同通して反対を煽るとは、すでに信頼が失われた。しかも、今まで信頼関係があると思っていた役員の中からも、外部の反対者と同通する者が出るようでは、この事業はもう成り立たない。当社はこの事業から手を引く」  

 純粋にこの事業に賛成し、今まで協力してきた地権者の人たちは、寝耳に水という感じで、動揺が広がりました。裏に流れる河川の拡幅工事とセットで考えていた事業ですから、このタイミングを逃すともはやまとまった再開発はここで終わりとなってしまいます。さる保険会社の底地に39名の借地人がいる、という地域の特殊事情を考えると、某公社が降りた時点ですべてが終わりとなってしまいます。地主の保険会社は再開発事業しか認めず、個別建て替えとなれば、厳しい建替え承諾金が要求されるだろうということは分かっていたからです。  

 某公社は自分たちの主張だけすると、さっさと帰ってしまいました。後に残された地権者ははじめ茫然としていましたが、そのうちに、この再開発がいかほど自分たちの夢だったか考えると、失ったものの大きさに泣き出す人まで出てきました。混乱のきわみです。

 一人の情熱が危機を救う  

 そのとき、一人の男性が立ちあがりました。今まではおとなしくて、会合でもほとんど発言などする人ではなかった人が立ちあがって「これまで自分は、傍観者で人任せだった。だけれども、今やっと目が覚めました。この事業はここでつぶしてはならないと思います。もし、今からでも間に合うなら、追っかけて行って某公社の人たちをもう一度、ここに迎えたい。そして、近隣の問題も私たちで解決すると伝えたい。そうしないと、必ず後悔する。私にどこまでできるか分かりませんが、私に賛成してくれるなら、今から一緒に某公社に出かけませんか。そして私たちの希望を伝えたい。私たちが生きる道は、そして子孫に残してやれるのは、この再開発しかない。どうですか皆さん。もう一度一緒にやりませんか」  

 この人は、涙を流しながら訴えたのです。この涙ながらに訴えた人は、当時でも珍しい習字用の毛筆を手作りで作って販売している人でした。職人ですから口数も少なく、黙々と仕事をする人で、この地域の中でもあまり目立たない人でした。その人が立ち上がったのです。彼の涙につられて、みんなも涙を流し始めました。「そうだ。そうだ。もう一度やろう。みんなで頑張ろう」あちこちで声が上がりました。  

 そのあと、この会合を緊急総会に切替えて、もう一度某公社を迎え入れようと決議され、全員が今までの条件で了承するという、再開発の同意総会に切り替わってしまいました。そのあとの、事業のスピードは目を見張るばかりでした。そして数年後に、この事業は完成したのです。今でも、涙の総会として知られている、東京のある地区での話です。    

 要は、街づくりをすすめるには情熱が必要だということです。1人の情熱があれば、周りを動かしていけるということを、この再開発の事例は伝えてくれています。情熱さえあれば道は開けます。 

社会変革の情熱  

 社会変革もまた情熱次第です。社会変革の情熱ということに関しては、明治時代に新島襄という方がいました。これは同志社大学を作った方です。今ではあまり知られていないのですけが、同志社大学の創立者新島襄です。この人も江戸の末期、当時海外に出ることは禁止されていたのですが、その禁を破って自分で脱藩して、単身でアメリカへ行ったのです。江戸末期の留学は藩から派遣されて行く、いわゆる公儀の留学が多かったのですが、新島襄は自らの意志で渡米し、自らの意志でアメリカの大学に入って、十年以上学んだ。その間日本では明治維新という革命が起こっていました。  

 彼はアメリカの大学に入ったので、キリスト教も勉強していました。ある時、教会で話をしなさいと言われて彼は、教会で話をしました。英語で切々と訴えたのです。今日本では、革命が起こっている。しかし日本にはまったくお金がない。その日本には、新しい文明、近代文明の波が寄せているけれども、自分はそういう近代文明の大学ではなくて、もっと心の底からキリスト教文明に則った大学を作りたいと思っている、ということを教会で説法したのです。本当に情熱的に説法した。そうしたらその説法を聞いていた、ある裕福なお医者さんがまとまったお金を寄付してくれた。さらに、その場にいた全員がその話に感動してくれて、結果、当時のお金で5000ドル集まったといいます。これは当時としては、大金です。  

 最後に、彼が説法を終えて壇上から降りようとしたら、貧しい農夫が近づいてきて、ポケットから2ドル紙幣を出して、これを受け取ってくれ、このお金で自分は汽車に乗って家に帰るつもりだったけど、自分は歩いて帰るから、この2ドルを受け取ってくれ、と言って自分の最後の無け無しの金をはたいて、彼のために2ドルを出してくれた。  

 というほどに、彼の話は感動を与えたようです。そのお金を元手にして新島襄という人は同志社大学をつくったわけですが、こういうことが「明治という国家」(司馬遼太郎著、NHNブックス)に載っています。その頃の、新島襄の精神状況を司馬遼太郎氏は次のように書いています。  

 彼は上州安中藩板倉家の江戸屋敷にうまれ、武士でありました。こっそり函館までゆき、そこからアメリカ船ベルリン号(ウィリアム・セーヴォリー船長)に乗りました。この密出国の動機について、新島は、後年振り返って「この挙は、藩主や両親をすてるということではない。自分一個の飲食栄華のためでもない。まったく国家のためである。自分の小さな力をすこしでもこの賑わざる国家と万民のためにつくそうと覚悟したのである」と、まことに明治人らしい。文久3年の新島襄という無名の青年の精神は、のちの明治国家の精神でもあったでしょう。  

 要は、そこまで強い情熱を持った新島襄の念いが、言葉にも表れ、行為にも表れて、それが人を動かしたということです。

 森を救った小鳥  

 似たような話は、仏教の説話の中にもあります。「森の小鳥」のたとえ話があります。どういう話かと言いますと、ある時森に火事が起こった。それがだんだんと大きくなって火が広がっていく。動物たちがどんどん火に追われて逃げていく。ある池の側まで火が迫ってきて、いろいろな動物が池の周りに集まってきた。兎や鹿やリスや小鳥など。そういう小さい動物たちが皆、池の周りに集まってきて、追い込まれて、もうこれは駄目かなと思った時に、1羽の小鳥が飛び立っていって池に飛び込んだのです。そして、羽を濡らしてそのまま火の方に飛び立っていってパタパタと羽ばたきをして、その自分の羽にに付いた水をかけた。当然ジューと言って、一瞬にして蒸気になって消えていきます。しかしそれでもその小鳥はまた戻ってきて池に入って羽を濡らしてまた飛び立っていって、パタパタと水をかける。しかしジューと水蒸気になってまた消えてしまうわけです。それを3回、5回、10回とやり続けた。それを見た別の小鳥が「そんな無駄なことはやめなよ」と言ったが、その小鳥は、「僕はやらずにいられないんだ」と言って、さらに20回、50回とやり続けました。へとへとになってきた。それでも池に戻って水を付けて羽ばたく、ということを繰り返した。  ところが、へとへとになって、もう倒れるかなという時に、「じゃあ僕も手伝おう」と別の小鳥が、真似をして池に飛び込み、飛んでいって羽ばたいた。そして、5回、10回と同じようにやり続けました。それを見て小鳥という小鳥が全部真似をしはじめたのです。それを見た他の動物も、兎も鹿もリスも象もキリンも、全部の動物が水に飛び込んで身体を濡らして火の側まで行って水をかけた。  

 ということをやっているうちに風向きが変わってきて、だんだんと火が向こうへ去っていった。そして動物たちが救われたという話です。森の小鳥のたとえ話として、仏教の説話に出てきます。 

情熱が道を開く  

 まこと、情熱とはよい仕事をするものです。 「情熱は、才能に勝る」。これは、松下幸之助氏の言葉です。


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