雪だるま型人生観
反省でなく行動を
以前紹介した転職を繰返す若い青年の話(すべては自分の問題)や、前回のペンション経営者の話(究極のシンクロニシティ)、あるいは松下幸之助さんの熱海会談の話(自己責任の原則)は、反省して自分の心を変えたら周りが変わったというものです。ところが、心を変えるというのは結構大変なのです。心というのはあるのかないのかよくわからない。これまでの話を聞くとなんとなくありそうかなと思ったかもしれませんが、でも本当にあるのかというとわからない。掴み所がありませんから、心を変えろ、心の構造改革をしろと言われてもなかなか難しいところがある。そこで次に、もうひとつ別の観点から考えてみます。それは「行動によって心を変える、行動によって心を鍛える」というものです。
別の言葉でいうと、悩んでいるよりは行動しなさいということでもあります。落ち込んでいるよりは行動しなさい。落ち込んでいて、原因はどこにあるか考え始めるともっと落ち込んでしまう人がいますから、そういう場合には、反省するよりもいったん過去を断ち切って行動しなさいという考え方もあります。
警察学校をトップで卒業
これも以前、私が四国のまちづくりで知り合った、ロータリークラブの方の体験です。地域で経営者として成功し、すでにその地域で影響力を持った方でした。私よりも少し若い方で、この方も父親に対して反発して、高校を卒業してすぐに四国を出て東京へ行った。お父さんという方は新聞記者だったのですが、その父親に反発して、東京の大学へ行くことにした。ともかく自分ひとりで生きていくぞと決意して、行動に移した。ところが、お金がありませんから、最初はお金を稼がなければならない。そこで、働きながらお金がもらえてしかも勉強の出来る所というので、彼は試験を受けて警察学校へ入ったそうです。入校生は一応地方公務員ですから給料が出て、しかも法律的な知識も身につけられるというのでそこへ約1年間通った。その警察学校を、彼はトップで卒業しました。そして警察学校を卒業すると、みんなそれぞれの都内の警察署や交番に配属されます。そこで彼はある交番に配属されました。現場のおまわりさんというのはやはり成績が評価されます。検挙率というもので評価されるらしい。万引きとか、あるいは家宅侵入とか、交通違反とか。そういう犯罪者を何人つかまえたかで点数が決まるようです。 彼はある交番に1年間勤めて、成績が都内のお巡りさんのトップになった。これは、じつは彼が初めてらしいのです。警察学校も学業優秀でトップ、検挙率もトップ。両方ともトップというのは彼が初めてだったのです。そういう実績を積んで、彼はすごく自信を持った。しかし、もともと警察官になるつもりでいたわけではないですから、最終的には大学に行きたいということで、受験に望んだ。ところが、東大に行きたかったのですが、残念ながら東大は落ちてしまったので、さる公立の大学へ入ったのです。
学習塾の成功
でも、やはり学費は全部自分で稼がなければならないので、アルバイトで子供の家庭教師を始めた。自分の6畳一間のアパートに子供を集めて勉強を教え始めた。検挙率も得意ということは、人間を見る目がとても鋭いのでしょう。子供に人気があって、口コミで広がって、学習塾の生徒がどんどん増えていった。それで大学の勉強よりも面白くなって、学習塾を何カ所も展開するようになってきた。大学は1年留年せざるを得ないくらいに忙しくなってきたので、仲間の学生アルバイトを使いながら、東京の町田あるいは川崎あたりで、最終的には250人くらいの先生を使うくらいの学習塾を展開するようになった。大学生でありながら、経営者として学習塾を経営したというのです。それが面白いくらいに儲かって、儲かって仕方がない。
区議会議員に当選
お金ができたものですから、当然のことながら、普通のサラリーマンなんかする気が全くなくなってしまいました。そうしたころ、地域に密着した学習塾ですから、たまたま父兄の方から、区議会議員の選挙に出ないかと誘われたのです。それじゃあ出てみようかと、何の地盤もないのですが、ただ学習塾で実績があっただけで、区議会議員の選挙に出ました。結果、40人中第2位で当選したというのです。28歳という最年少で区議会の議員に当選しました。もう今から30年以上も前の話です。 区議会議員になると、自分のお父さんくらいの年齢の、役所の部長や課長が、ペコペコ頭を下げていろいろなことを報告に来る。とても気持ちがよくてやめられない。今まではこちらの方が頭を下げていたような年輩の人が、逆に自分に対してペコペコするのですから。そういう状態で、28歳で区議になって3年くらい勤めていた。ところがちょうど任期が終わる直前に、今度は都議会議員の選挙があった。そしたらまた父兄から、「先生、今度は都議会議員に出ませんか」と言われて、区議会議員辞めて都議会議員の選挙に出たのです。今までの蓄えや、人脈など全部投入し、かなりの借金もして、都議会議員の選挙に出ました。 当時でも、都議会議員に出ると、だいたい1億円使わないと当選しないと言われていました。1億円です、つまりそれくらいの金は使ったということです。ところが、世の中それほど甘くはない。今度は物の見事に落ちてしまった。そして全財産すってしまった。全部スッカラカンになったという。最後は自分の部屋に、段ボールいくつかとみかん箱が残ったくらいで、金目のものは全部持って行かれた。奥さんもさすがに愛想尽かして、こんな人とは一緒にやっていられないといって、離婚されたという。
人生のどん底
最後に、そのとき支えになってくれた女性が一人残った。その後その女性と再婚するのですが、でももう、これでは東京にいられないということで、都落ちして大阪へ出た。しばらく何をする気にもなれず、ボーと過ごしていたら、たまたまそのとき、かつての知り合いの男性が訪ねてきて、その男性が、「これから1週間ほどアメリカへ行って来るから、ちょっと預かって欲しい」と400万円を置いていったそうです。現金で預かったというのです。彼は、あぁそうという軽い気持ちで預かった。 ところが、魔が差すというのはこういうことを言うのですね。自分は職がないわけですから400万円見てると、これを使ってうまく儲けられないかと、ふと思った。魔が差した。ピーンと来た。「競馬だ」。気がついたら、競馬場にいたというのです。 その日、一日で7レースあった。第1レースから順番にかけていった。1レース目、2レース目とも当たった、3レース目も当たった。6レースまで全部当たった。これはすごい!って、そして最後の第7レースに全部かけた。ところが最後の第7レースで完全にはずれて、400万円全部すってしまった。そしたらもう、怖くて怖くて、家に帰って布団かぶってブルブル震えて寝ていたというのです。死ぬことしか考えなかった。そこへ奥さんが帰ってきた。「どうしたの」「あの400万円すっちゃった。死ぬしかない」と。そうしたら奥さんがアハハハって笑ったそうです。「あんたの命400万?そんなに安いの」と言われたらハッと目が覚めた。結局一攫千金を夢見た自分が悪かったのだと気づいた。そしたら奥さんが「もう一回ゼロからやり直せばじゃないの。もう一回頑張ろうよ」と言って励ましてくれたので、一週間後、友達が帰ってきたときに2人で謝りに行った。半年以内に必ず返す、申し訳ないと謝って。
ちり紙交換の成功
そして次に彼は岡山に行ったのです。少しでも故郷の四国に近づきたかったのでしょう。ちょうど、そのころ岡山駅の近くにちり紙交換の拠点があったらしいのですが、なんとか稼がなきゃいけないということで、そのちり紙交換を始めた。今ではもうちり紙交換というのはなくなってしまいましたが、そのころはまだ商売として存在していた。 2トントラックを借りて、そしてちり紙交換ですといってマイクで流しながらいろいろな所を回って歩くあの商売を、やりはじめた。もうお金がないから、背に腹は換えられない。奥さんはその頃ちょうど妊娠していたけど、母子手帳ももらえないくらいお金がなかったのです。それで、ちり紙交換やりはじめたのですが、彼は何回か周っている内に、ちり紙交換にもコツがあることに気がついた。普通のちり紙交換は1日1回転しかしない。朝トラック借りて出て行って夕方帰ってくる。ところが、彼はちり紙交換にコツがあるのがわかった。どういうことかというと、人口密度の高いところ、たとえば団地とか、あるいは道路の四つ角あたり、そういう人口密度の高い所がツボだとわかった。そこでそういう所に車を止めて、子供の童謡の、「メエメエ森の子ヤギ」という、あの童謡をずっと静かに流すのだそうです。ヤギは紙を食べるので、その童謡を流しておいて一軒一軒訪ねていくのです。「今、あの童謡を流しているちり紙交換ですけど、お宅新聞ありませんか?」と言って。「うちはまだ溜まってないわ」「溜まってなくてもいいですから、少しでもどうですか」と言ったら、みんな出してくれる。ちり紙いらないからといって、みんなただで出してくれる。今でこそ、資源回収で新聞紙は別に出しますけど、当時はまだ新聞紙とちり紙を交換することはビジネスになった。そうやって自分から一軒一軒訪ねていって新聞紙を集めていったら、1日4回転した。普通は1回転。自分から集めていくのですから、どんどんみんな出してくれる。あっという間にトラックが新聞紙でいっぱいになってしまう。1日4回転です。そうしたらあっという間にお金ができて、400万円の借金も返せた。
本のセールスの成功
それで半年ほどでそこを辞めて、次にまたもっと儲かる営業ということで、ある出版社の高価な本のセールス販売をやり始めました。ところが今度はやってもやっても全然契約がとれない。なぜだろうと思った。一方で全国トップのセールスマンがいる。何が違うのだろう? そこで一週間鞄持ちさせて下さいと頼み込んで、そのトップセールスマンの鞄持ちをした。よく見たらトークから何から全部自分と同じことを言っている。ところが彼は全部契約にしてしまう。自分はできない。なぜだろう。 ところがよくよく観察したら、心理状態が微妙に違う事に気がついた。彼はおそるおそる入っていた。そのトップセールスマンは自信をもって、明るく、爽やかに、「こんにちわ!」と言って入っていく。最初の精神状態が微妙に違うということに気がついて、それで自分も明るく元気にやり始めた。そしたら、次の月からトップになった。全国のトップセールスマンを6ヶ月続けた。それで、蓄えが出来たのでまた四国に戻ってきました。四国に戻って、その蓄えを基に彼はまた学習塾をやり始めました。今度はかなり目的を明確にした幼児教育の塾です。学習塾については彼自身過去の実績がありますから、そこでも能力を発揮しました。
幼児向けエリート塾の成功
彼は、ある国立大学の付属小学校に入ることを目的にした、幼児向けエリート塾をつくったのです。そしたら2年もしないうちに、地元で評判の成功者になりました。あそこへ入ったら必ず付属小学校へ入れるというくらいの高い評判を得たのです。なぜすぐにそういう実績が出せたかというと、要は子供のやる気を引き出すことだという。やる気を引き出すには良い所を褒めてやることです。コツはこれひとつだと言っていました。子供の良い所を褒めると子供はいくらでもやる気が出る。勉強以外でも良い所を褒めてやる。それともうひとつは、そういう子供でも家に帰るとまた元に戻ってしまうので、母親も一緒に教育するのだと。母親にも子どもと一緒のクラスに入ってもらい、一緒に聞いて貰うようにしたら、子どものやる気がどんどん出て、口コミで広がっていって、評価が定着したという話をしてくれました。
行動主義、行動療法
要するに、彼は行動主義者なのです。失敗しても落ちこまない。失敗して一時は悩んだとしても、長い間は落ち込まないで、次の行動に移っているのです。行動することによって、彼は自分の心を前向きに積極的に変えている。そういう人生です。つまり、失敗して落ち込んで、あぁダメだ、ダメだと、ダメになっていくのではなく、それを教訓に成長していく人生です。行動して自分の心の弱点を乗り越えていく。だから行動は心を変えるのです。行動は心を強くすることができるのです。
ところで、「大人のための勉強法-パワーアップ編」(和田秀樹著、PHP新書)という本の中に行動の重要性が述べられています。最近鬱病になる人や精神的にダメージを受ける人がたくさんいますが、この著者は精神科の医者の立場から、どうやったらそういう人を立ち直らせることができるかという視点でいろいろ書いているのです。この本の中でも書いていますが、最近のアメリカの精神医学界では、行動療法というのが主流になってきているらしい。以前の精神分析ではフロイトの夢分析が知られています。その人が見た夢から分析して、あなたの心のトラウマはこういうところにあって、ここを治すともっと積極的になれるとか、幸福になれるとか、そういう精神分析から心の改造ということをフロイトがやってきましたが、今、アメリカの精神医学の世界は、そういったフロイト主義ではなくて、もっと行動から入って心を治療していく行動療法が主流だと言うのです。具体的には次のように書かれてあります。
「1970年代頃からこの行動主義の考え方に基づいたアメとムチを用意して、行動の方を変えていく行動療法と呼ばれる治療法が、人間の心を変えるより短期間で治療が進む上に、治る確率も高いと人気が高まってきた。特に90年代以降はこの治療法の人気が高まっている。例えば、トラウマ(心的外傷)の後遺症の治療でもそれまでは、過去のトラウマの記憶をきちんと思い出して、それに向き合えるようにするのが治療の基本だったが、調べてみるとそのような回想を求める治療法はかえって悪くなるケースのほうが多い。それよりは、不安症状が出た際に、過去に原因を求めずに、今その不安に対してリラックスできるようにする行動療法的なテクニックを身につけたほうが、社会適応もよくなるし、具合も良いとされてきたのだ。」 ということが書かれています。心を変えよう変えようとするとそれにとらわれて、かえって過去を引きずってしまうという傾向がアメリカでも出てきた。それよりは、目の前にある問題を解決したいなら、まず行動を起こしなさいという考え方がアメリカの精神医学では主流になってきているということです。
雪だるま型人生観
このような、行動を重ねることによって自分の心を変え自分の器を大きくしていく生き方、これを「雪だるま型人生観」と定義している人もいます。雪だるまというのは、最初は小さな雪のかたまりを転がしていって、だんだんと大きくしていくものです。その過程で石ころがついたり、土がついたりしますが、それにお構いなく転がしていくうちに大きくなっていきます。このように少々の石ころや土がついても、どんどん転がしているうちに雪だるまが大きくなっていくように、人生も失敗や不運があってもひたすらそこから教訓を得て次々と行動していくと、大きな器になっていくというものです。 石ころや土がついたからといって、それを取ろうとして止まってしまうと雪だるまはできない。場合によっては溶けてしまいかねない。それよりは、そういう石や土をものともせずに、ひたすら転がして大きくしていく。
今のちり紙交換の男性がまさにそうです。過去、成功や失敗もいろいろありましたが、その失敗や不運にめげることなく次々と行動していって、すべての経験を肥やしにして、器を大きくしていったのです。
結局、まちづくりも、ものづくりも、サービスも、どんな事業もこの精神でいけば、不可能はないでしょう。成功しかないでしょう。
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