我見・我欲はわざわいなり
最後の一人
まちづくりや都市再開発事業における権利調整とは、心理調整のことだとつくづく思い知らされたことがあります。ある私鉄の駅前再開発に取り組んでいたとき、最後の一人となった地権者の同意を年内に得なければ、大変なことになるという事態に追い込まれました。
経緯はこうです。そのときまで再開発が順調に進んできましたが、最後の一人が転出先の場所の問題で不満があって同意書に判子を押してくれなかったのです。地元で長く住み続けて来た女性です。先祖代々の土地を、結婚することもなくひとりで守り続けてきた女性で、計画ではちょうど駅前広場の中心となる場所に住んでいました。
無理を主張する女性
彼女の主張は「私は、もともと再開発に賛成ではないし、無理矢理追い出されるのだから、一番いいところに代替地をもらって当然だと思う。しかも、将来駅前広場になるちょうど真ん中に位置しているのだから、一番いいところをもらって当然だと思う」というものでした。
たまたま、近くに大規模な遊休地があってそこを転出者用の代替地として提供してくれる方がいたので、そこに数人の転出予定者を、不公平にならないように割り振ったのです。しかし、彼女は「私が一番犠牲が大きいのだから私が一番いいところをもらって当然」と主張して譲りません。年を越えると、すでに別の場所に事前転出していたある工場経営者に億近い税金がかかってくることになってしまいます。年末が近づいてきて私は焦りました。年が明けると裁判になるかもしれない。事業の責任者はプロジェクトリーダーの私です。何としても年内に同意をしてもらわないと事業は頓挫するばかりでなく、下手をすると新聞沙汰になりかねません。焦りに焦った私は、毎日その女性の所に出かけました。しかし、全く会ってくれようともしません。門前払いです。そういう状態が何日か続いて、日に日に焦りが出てきました。
こちらの過ちに気づく
少し間を空けて、心を落ち着けて、再び私は彼女の家をノックしました。しかし「私は、何度来られても会いません」と厳しい言葉です。午前中早い時間に一度、お昼近くにもう一度。しかし、2度目はチャイムを押しても何の反応もしてくれなくなりました。12月25日のクリスマスの日です。早く説得しなければ、早く同意をもらわなければ、と焦りに焦りました。
午後3時過ぎにまた出かけていきました。しかし、「もう来ないでください。これ以上来ると、これはもう脅迫ですよ」とまで言われてしまいました。万事休す。私は事務所でボーとしてしまいました。
ところが、そのとき、私はふっと「そういえば、彼女も辛いんだろうな。女性一人で誰にも相談できなくて、悶々としている。辛いんだろうな。私は自分の都合ばかりを押し付けてきたけど、もしかしたら彼女はもっと辛いのかもしれない。これは申し訳ないことをした。まずは、お詫びをしなければ」と、心底思ったのです。間髪をいれず私は彼女の家のチャイムを鳴らしました。
道は開かれた
なんと、ドアを開けてくれたのです。私は言いました。「すみませんでした。私は、自分の都合ばかりを言ってご迷惑をかけました」と。そしたら、お座敷にまで上げてくれたのです。初めてお茶も入れてくれたのです。私は改めてお詫びの言葉を言いました。
「そう、解ってくれた? 解ってくれたのなら、私は判子を押してあげる。私がどんなに辛い思いをしてきたか、近所では私がごね得を狙っているんだとか、意地悪しているんだとか、いろいろな噂が入ってきて、もう村八分ですよ。でも、もういい。解ってくれたからもう判子を押してあげる」
同意書に判子を押してもらって、すぐに区役所の担当課長に届け、すぐさまその同意書をもって、その日のうちに区の助役にも同行してもらって東京都庁舎に出向きました、すでにそれ以外の書類はすべて事前に届けてあって目を通してもらっていましたから、係長、課長、部長、そして局長と一人一人の捺印をいただいて最後に知事の印鑑もいただきました。
滑り込みセーフ。奇跡が起きたのです。結局、「早く判子を押してほしい」「早く楽になりたい」という自分の立場しか考えない、私の我見・我欲が道を閉ざしていたのでした。そのことに気づいて、彼女に対して反省の思いを持った瞬間から何かが変化したのです。その後、その再開発事業は無事完成しました。
相手への恨みつらみ
ところで、ある時この話を、大阪にいる知り合いのテナントビルのオーナーに話しをしたことがあります。そうしたら同じような体験をしたといって、その女性オーナーは次のような話をしてくれました。
彼女のビルに入っているテナントで、企画プロモーションの会社がありました。その会社の社長のAさんは、一時は非常に羽振りが良くて、10数人の社員を使っていました。一番の絶頂期は、世界環境フォーラムを開催して、ゴルバチョフ氏にも来てもらったときでしょう。大手スーパーの資金援助も得て、大成功したのです。 ところが、そのあとから家賃が滞るようになってしまいました。半年も滞納です。
彼女が催促するともうちょっと待ってくださいといいます。聞いてみると、大手スーパーとAさんの会社の間に入った会社がお金を持ち逃げしたということで、Aさんの会社に予定していたお金が入らなくなってしまったのでした。 彼女が催促をすると、明日、大手スーパーの社長と会いますから、もうちょっと待ってくださいといいつつ、持ち逃げした会社への不満、恨みつらみ、そして少しも援助してくれない大手スーパーへも不満たらたらです。そこで、彼女はAさんに言いました。
感謝の気持
「もし、明日、スーパーの社長に会うんやったら、いまのような気持ちで会うたらあかんで。いまのような『何とかしてほしい』『早くしてほしい』という気持ちで会うたらあかん。そうやのうて、あのフォーラム成功して嬉しかったやろ。そのときのこともう一度思い出してみい。そういう嬉しい気持で会うことや」。
「あんた一人で成功したんやない。みんなで成功したんやで。そのことを思い出しいや」。
「あのフォーラムが成功したのは多くの人のおかげやから、まずはその人たちに感謝の思いを持つことや」。
「そして、明日、社長にはお礼に行くつもりで会うことや。まずは、お礼を言って、そのあと援助をお願いしたらええ」。
彼女がそう言うと、Aさんは目を赤くして涙を流していました。
その2日後、Aさんは彼女のところに挨拶に来ました。「ありがとうございました。言われたとおりに話しました。そうしたら、また、そのスーパーから毎月500万円の仕事がもらえることになりました」と喜び一杯でした。
我見・我欲はわざわいなり
結局、恨みつらみは『我』です。こちらが『我』を出すと相手も『我』を出します。こちらの『我』の思いが相手の『我』を引き出しているのです。
『我』はさまざまな形を取ります。「相手を責める我」もあれば、悲観的になって「自分を責める我」もあります。また、俺がやったんだという「慢心の我」もあれば、早くお金を返してほしいという「焦りの我」もあります。さらには、『目立ちたいという我』もあります。
いずれにしろ、こちらの『我』は相手の『反発という我』を引き出します。
逆に、こちらの感謝の気持ちは、相手の感謝の気持ちを引き出すのです。
ただ、自分が我見・我欲で物事を進めているのか、正しく進めているのかは自分ではなかなか解りません。これが我見・我欲だと解れば修正がききますから、ほとんどの場合、我見・我欲には気づかないといっていいでしょう。
では、どうしたら自分の我見・我欲に気づくことができるのか、それは、周りの反応で見極めるということです。何か不都合な出来事がおきたら、自分に問題がある、あるいは自分に我見・我欲がある、だから不都合が起きていると考えるのです。そう考えるのが、一番解決が早い近道です。
昔の人は、このことをよく見抜いていました。「立ち向かう人の心は鏡なり」と。
『我』には『我』が返ってくる、『感謝』には『感謝』が返ってくる。このようなシンプルな原理原則で、世の中は動いているのです。家庭も、ビジネスも、そして社会や国家も。
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