感動が人を動かす

製薬会社からの電話 

 前回のY薬局の話の続きです。売上が順調に伸びていって、次第に豊かになってきた頃、東京の製薬会社から電話が入りました。「企画部の者ですが、いまJR駅に着きましたので、これからそちらに伺います」。ええ!!なんなのだろうと、Yさんは不思議に思いました。  

 しばらくしてやってきた製薬会社の人は「お店の写真を取らせてください」と言います。「ええ?こんな古ぼけたお店をですか?」「その古ぼけたお店がいいのです。Yさん、お店のその辺に立ってください」と言いつつ、会社の人はYさんをそこここに立たせて、店内の写真を何枚も撮りつづけました。「次に表(おもて)の通りも撮らせてください」「ええ!!表といったって、誰もいませんよ」「それがいいんです。誰もいないところがいいんです」。そのようなやりとりをしながら、しばらく世間話をした後、その会社の人は写真撮りを終えて帰っていきました。  

 それから2週間した頃、その製薬会社から再び電話がかかってきました。「じつは、来月の第4土曜日の午後、東京に来てもらいたいのです。旅費や手当てはもちろん出します。日帰りもできますから」「何のご用でしょうか」「ちょっとした会合に出てほしいのです」。Yさんは、ああ、そうですか、と軽く返事をしてしまいました。 

体験発表  

 その土曜日の日、東京駅に迎えに来てくれた製薬会社の人と一緒に向かったところは、大手町のサンケイホールでした。Yさんは次第に不安になってきました。その不安な気持ちは、ホールに着いたとき頂点に達しました。会場に貼りだされたプログラムを見ると、有名大学の医学部や薬学部の名誉教授の講演とともに、体験発表者としてYさんの名前が載っていたからです。「ええ!こんな話は聞いていませんよ」と言うと、「だましたわけじゃないんです。はじめに正確に内容を言ってしまいますと、たぶん来てもらえないと思ったものですから。ただ、あのライフバランスという薬がどうして売れたのか、そのことを話してもらいたいのです」  

 聞くところによると、このライフバランスという薬、全国でY薬局が一番に売れているというのです。東京の繁華街の大規模薬局や有名薬局の売上の何倍も、ダントツのトップでこのY薬局で売れているというのです。前回のミッション⑧で話した、肺に水が溜まった人が治ったというのもこの薬のおかげで、自然治癒力を回復するための薬です。この薬を、その製薬会社では、もっと大々的に売り込みたいと、この講演会を企画したのでした。会場には、全国から薬の卸問屋さんや大手の薬局の人たち数百人が、集まっていました。  

 講演会が始まり、大学の先生方の発表も終わって、Yさんの出番になりました。Yさんは日頃どのようにしてお客様にこの薬を勧めているかを、体験談を交えながら、話しました。Yさんの話とともに、Yさんの店内の写真や、表通りの写真がスライドでつぎつぎと映し出されました。「こんな人通りの少ない、こんないなかのお店で、全国ナンバーワンの売上なのです」と紹介されると、会場から「おおー!!」という感嘆の声があがりました。 

自分の故郷を愛する心  

 Yさんは確信をもって話しました。「お客様には、ただただ早く良くなってほしいという思いだけで、毎日応対させていただいています」。その慈悲の思い、その癒しの思いを、心を込めて話したのです。そして、最後に「私はこのまちが好きなんです。このまちに住んでいる人たちも好きなんです。ですから、このまちの人たちには、健康になってほしいのです」と故郷を思い浮かべながら話しました。講演会は大成功の内に終わりました。  

 その後Y薬局には、全国の薬局から、電話や手紙で、問い合わせと相談がいくつも舞い込みました。そのなかには、会場でプロジェクターを操作していた、製薬会社の社員からの手紙もありました。「私は、当日、会場でプロジェクターを操作していたものです。Yさんの最後の言葉、『私はこのまちが好きなんです。私を育ててくれたこのまちが好きなんです。澄んだ空気、青い空、緑の山々、清らかな川、みんな好きです。このまちの人たちも、素朴で思いやりがあって大好きです。この地域の人たちに私は感謝します』という言葉を聞いて、私は恥ずかしながら涙を流してしまいました」。 このようにYさんの言葉は多くの人に感動を与えたのでした。その言霊は、Y薬局に来るお客様へのいたわりや思いやりと同質のものだったのでしょう。だから、つぎつぎと感動の連鎖反応を起こしていったのです。 いまや、このY薬局は商店街の中で超有名です。 

ねばり強く  

 この、感動ということに関しては、私にも体験があります。再開発事業の地権者折衝を担当してまだ日の浅い、駆け出しのころのことです。事業の最終段階で、なかなか会えない人がいました。あともう二人という内の一人の方です。  

 仕事は野菜の卸業を営んでいる人で、営業は別のところでやっていましたが、自宅がその地区内にあったのです。野菜の卸業というのは、朝早く家を出て、足立区のやっちゃ場に行き、そこで仕入れたものを、小売店や飲食店に配達するというものです。その人、Oさんは、もっぱら大きな飲食店中心に仕入れたものを配達して回っている人でした。朝早く家を出て、配達をして回り、家に戻ってくるのは、夜の8時過ぎという状態で、お風呂に入ってそのあと食事をするともうあとは疲れて寝るだけという日常です。何度行っても、いないことが多く、いても疲れているからまたにしてという状態が続いてこちらもほとほと困っていました。 若い奥さんはいつもすまなそうに「申し訳ありませんね。いつも、『来てくださった』ということは伝えているんですけども、なにせ疲れていると不機嫌になるので、私もあまり強くは言えないんです」と。つねにこちらの立場は理解してくれていました。 そうこうしているうちに、年末が近づいてきてOさんはますます忙しくなってしまい、全く再開発の話はできなくなってしまいました。 

夜討ち朝駆け 

 意を決して、そのとき行動を共にしていた区役所の担当係長と一緒に、その方の家に行きましたが、「まだ戻っていません」のひとこと。仕方なく、そのOさんの家の前で待つことにしました。待つことしばし、夜9時過ぎにOさんが帰ってきました。 「Oさん、ちょっとだけ話を聞いてもらえませんか」。「冗談じゃないよ。もう疲れきってるんだから、勘弁してよ」と逆に怒らせてしまいました。「今日もダメか」つい、ため息が出ます。 こうなったら、もう腹をくくるしかないと、覚悟を決めました。たまたま、区役所の係長が、そのとき自家用車に乗ってきていたので、そのままOさんの家の前で、自動車の中で夜を明かすことにしました。12月の後半に入ってかなり寒さも厳しいので、自動車のエンジンをかけながら暖かくして、朝を待ちました。Oさんの出掛けを狙ったのです。まさに夜討ち朝駆けです。 朝、といっても真っ暗ですが、4時ごろ、家の中の明かりがつきました。さあ、チャンス。書類を手にして外に出ました。待つこと15分。Oさんが出てきたので「おはようございます」と声をかけました。 Oさん、突然のことでびっくりした表情で「なに!ずっと待ってたの」。「そうです。どうしても、お話をしたいので」「ほんとに、家に帰らないで、ここにいたの?」「ええ、そうです」。 一瞬、私たちの顔を見比べながら、間をおいて、Oさん「そこまで、やられちゃ、しょうがねーなー。ちょっと待ってな。いまハンコ持ってくっから」。 

感動が人を動かす  

 彼は、家の中から実印を持って出てきました。「俺、忙しいから、あんたにハンコ渡すよ。必要なところに押していいから」と言ってくれたのです。 「ほかの事に使ったらダメだぜ」と釘をさして、Oさんは、仕事に出て行きました。まだ、夜は真っ暗です。    

 このとき、私は自分のやっていたことが無駄ではなかったと実感したのです。ほんとに、Oさんのハンコをもらうためには何でもしなければという必死の思いが天に通じたのでしょうか。私はOさんの態度に感動を覚えました。それほど深い信頼関係があるわけでもない、私のような若い人間を信頼してくれて、実印を手渡してくれたというその行為に。  

 OさんはOさんで、私たちの真剣な行動に心を動かされたのでしょうが、私は逆に、私を信頼してくれたOさんの態度に感動したのでした。 私の中で、その感動は長く持続し、そのプロジェクトは構想提示からわずか5年という超スピードでで完成したのです。 Y薬局の感動的な話を聞いて、私も自分の過去のことを思い出したのでした。  

 期待していた以上のことをされると、人間は感動するものです。感動が人を動かすのです。


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