シンクロニシティ(共時性)
企業活動であれ、まちづくりであれ、成功の鍵というのは、事業という観点で言えばそう大きな違いはありません。企業活動もまちづくりも、成功の本質は同じだと考えていいでしょう。うまくいくときは、あらゆるものが噛み合って進んでいきます。人も、物も、金も情報も、すべてがうまく噛み合って加速度的に進んでいきます。ところが、まったく噛み合わないこともあります。どんな手を打っても、すべてが裏目に出てしまう、そういうこともあります。その違いはどこにあるのでしょうか。
そこで、今回はシンクロニシティ(共時性)ということを考えてみます。
ご存知のように、シンクロニシティ(共時性)というのは、ユング心理学のひとつの代表的な概念ですが、それは、次のように定義されています。 「同じ意味を持つ、複数の、因果的に無関係な出来事の同時生起」
これでは表現が難しいので、少し具体的な事例から説明していきます。
本心から相手の立場に立つ
長野県のある人が、建設不動産会社に勤めていましたが、営業の仕事に行き詰って会社を辞めてしまいました。会社は辞めたけれども、仕事の知識としては、建設・不動産関係のことしかなかったので、結局自分で住宅リフォームの会社を立ち上げました。相手の状況も考えずに仕事を取ってくることには辟易していましたから、「無理な営業はしない」「相手の嫌がる営業はしない」ということをポリシーにしました。
そこで、地域の新聞に折り込みチラシを入れて、ひたすら反応を待つという姿勢を貫きました。しかし、毎月5万枚、10万枚のチラシを入れても、かかってくる電話は、ほんの数件で、それも契約には繋がらなかったのです。まったく仕事のない日が続き、日に日に資金が底をついてきました。
そうしたある日、一本の電話がかかってきました。小学生の息子の部屋のリフォームをしたいという、主婦からの電話で、そのリフォームにどれぐらいの費用が必要かという問い合わせでした。よくよく聞いてみると、ほとんど勉強をしない息子に、勉強の意欲を出させるために部屋をリフォームしたいということでした。あまりに息子の部屋が汚いので、きれいにすれば少しは勉強のやる気が出てくるのではないかと。
それを聞いた彼は「そんな、部屋をきれいにするためだけに、何十万円もお金をかけるのはもったいないですよ。きれいにするぐらいだったら、私が行って掃除をしてあげますよ」と言って、彼はその家に出かけて行きました。2~3時間かけて、片付け、掃除機かけ、拭き掃除を終えました。「お金は要りません」「え!それでは収入にならないじゃないの?」「いえ、いいんです。自分は納得のいく仕事しかしないと決めていますから」
そういうやり取りをして、彼はお茶だけ飲んで帰ってきました。
ところが、その翌日から仕事の電話がじゃんじゃん掛かってき始めたのです。「以前、新聞の中に入っていたチラシを見て電話しているのですが」という電話が、対応しきないくらいに掛かってきて、何件もの契約成立となったのでした。
その後、この会社は、快進撃。今や長野県一番の成長企業になり、全国から問い合わせが殺到して、住宅のリフォームのみならず、建売販売も手がけ、さらには売り上げ増のためのコンサルタントもやっているのです。なんと、社長の年収は5億円に達しているということです。きっかけは、一主婦から掛かってきた、その一本の電話でした。
その一本の電話から、シンクロニシティ(共時性)という現象がおき始めたのです。
執着を断つ
このような話は、起業家だから起こりやすいということではありません。通常の企業活動でも起こりえます。次は、最大手のビール会社の元社長の話です。この方の出世話は、若いころの病気・療養の苦しさ抜きには語れません。
20代後半、結婚して間もなく、子供もできてこれからというときに、突然原因不明の脊椎の病気にかかりました。当時は、まったく原因がわからず、したがってこれといった治療法もなく、ただ病院で療養するしかありませんでした。しかし、回復の見込みもなく日に日に衰弱し、病院生活が長引いていきました。会社の就業規則で決められた療養期間を過ぎると、もう会社には復帰できません。だんだんと心に焦りが出始めます。
「もう会社を諦めるしかないかな」というときに、奥様の一言が彼を救いました「私が、がんばって食べさせてあげるわよ」
早く治さなければならないという執着から開放されたのでしょう、不思議にその日から回復し始め、何とか就業規則に定められた療養期間を越える前に退院し、会社に復帰できたのです。といっても、数年のブランクは大きく、すでに同期のトップは係長になり、彼は窓際からの再スタートでした。しばらくのウォーミングアップを経て、彼は都内の酒屋さん回りを始めることになりました。社内で、つらい思いをするより、外に出て酒屋の主人と話しているほうが気がまぎれるということもありました。
毎日毎日、酒屋さんを回り、酒屋の主人の要望を聞き、問題を聞き、ともに悩み一緒になって考えていきました。要望として一番多かったのは、手形の期限を延ばしてほしいということでした。出世しようという執着からすでに開放されていましたから、会社には堂々と手形の期日を延ばしてやってほしいと要求することができました。こうして、お店との信頼関係を築いていき、お店からは多くの注文をもらうようになりました。「あんたのためなら、なんでも応援するよ」と言ってくださる方が、何人も出てきたのです。
その結果、売り上げはぐんぐん伸び、営業成績が社内トップとなりました。そして、同期のトップで課長に就任したのです。その後、さらに出世し、社長となり、会長を経て退任されました。
これも、この方の心の状態と無関係ではないでしょう。成果を上げたい、出世したい、という執着を完全に断ったときに多くの店主が協力してくれるようになったのです。
営業の世界におけるシンクロニシティ(共時性)であるといえるでしょう。
我見・我欲が成功の法則を妨げる
執着を断つことの大切さ、これはまちづくりにおいても同じです。そのことは、これまでもいろいろ話をしてきました。
「我見・我欲はわざわいなり」では、私の体験を話しました。ある私鉄の駅前再開発事業で、最後まで反対していた女性の対応で苦労していたケースで、私が、自分の我見・我欲に気づいたとき奇跡が起こったという話です。以下にもう一度掲げます。
ところが、そのとき、私はふっと「そういえば、彼女も辛いんだろうな。女性一人で誰にも相談できなくて、悶々としている。辛いんだろうな。私は自分の都合ばかりを押し付けてきたけど、もしかしたら彼女はもっと辛いのかもしれない。これは申し訳ないことをした。まずは、お詫びをしなければ」と、心底思ったのです。間髪をいれず私は彼女の家のチャイムを鳴らしました。 なんと、ドアを開けてくれたのです。私は言いました。「すみませんでした。私は、自分の都合ばかりを言ってご迷惑をかけました」と。そしたら、お座敷にまで上げてくれたのです。初めてお茶も入れてくれたのです。私は改めてお詫びの言葉を言いました。
「そう、解ってくれた? 解ってくれたのなら、私は判子を押してあげる。私がどんなに辛い思いをしてきたか、近所では私がごね得を狙っているんだとか、意地悪しているんだとか、いろいろな噂が入ってきて、もう村八分ですよ。でも、もういい。解ってくれたからもう判子を押してあげる」 権利変換の同意書に判子を押してもらって、すぐに区役所の担当課長に届け、すぐさまその同意書をもって、その日のうちに区の助役にも同行してもらって東京都庁舎に出向きました、すでにそれ以外の書類はすべて事前に届けてあって目を通してもらっていましたから、係長、課長、部長、そして局長と一人一人の捺印をいただいて最後に知事の印鑑もいただきました。
滑り込みセーフ。奇跡が起きたのです。結局、「早く判子を押してほしい」「早く楽になりたい」という自分の立場しか考えない、私の我見・我欲が道を閉ざしていたのでした。そのことに気づいて、彼女に対して反省の思いを持った瞬間から何かが変化したのです。
通常、権利変換の手続きには一ヵ月半ないしは2ヶ月必要といわれていますが、一日で手続きが終わったのです。この事業にかかわるすべての人が、協力してくれました。その日だけでなく、それ以降も。結果この事業はスムーズに終了しました。いま、この駅前は、改札から出て歩行者デッキを経て再開発ビルに入ることができます。ビル全体がとてもよく繁盛しています。(「我見・我欲はわざわいなり」より)
私の目から見ると、このケースもシンクロニシティ(共時性を)起こした事例であると考えています。
しかし、シンクロを起こしていないのに無理矢理に事業を進めようとすると、当然そこには軋轢が起こります。推進派と慎重派の軋轢が起こります。
まちづくり、まち壊し
形の成功にこだわるとどうしても、人の心を無視しがちになります。自分たちは善いことをしているのだから賛成しないのが悪いという思い込みの世界に入ってしまいます。その結果、相手の心を無視したやり方になっていってしまいます。以下も以前、私の体験として「閾値を超える」に載せた慎重派の人の言葉です。
「推進派の人たちは、コンサルタントやディベロッパーに依存して、形ばっかり追っている。本当に必要なのは良いまちをつくろうという理想と行動ではないのか。コンサルタントやディベロッパーに任せておくのではなく、自分たちで主体的に考え、主体的に行動するべきだ。地域の人たちに対して自分たちの言葉で理想を語るべきだ」
「もし、自分のところに来て、正々堂々とその理想を熱く語ってくれたなら、私も賛成したのに」(「閾値を超える」より)
「まちづくりが、結果的にまち壊しになってしまっている」。これはその慎重派の人が言った言葉です。
幸福なまちづくり
良いまちづくりとは、形の世界と心の世界とが相和して進んでいくものでなければなりません。ある意味では、心の世界ですばらしいまちづくりが実現できれば、それでいいのかもしれません。
まちづくりに関して私が参考にしている本が、「少女パレアナ」(角川文庫)という児童小説です。これは、20数年前にTVでハウス名作劇場「ポリアンナ」としてアニメで放送されていましたから、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。愛する両親を亡くし、孤児となってしまった幼い少女パレアナが、自分の不幸にもめげずに、引き取られた伯母さんの意地悪にも耐えて、その明るさと素直さで周囲の人たちの冷たい心を溶かしていくという話です。
出会う人、出会う人すべての良いところを探して、元気付けていきます。亡くなった父親から教えてもらった「喜び探し」をして相手を元気付けていくのです。毎日毎日、相手の喜びの種を見出していきます。結果的にその伯母さんを幸福にし、家中の人を幸福にし、地域全体の人を幸福にしていくという感動的な物語です。
この小説が発表された1913年、ニューヨークではこの本のことが評判になったといいます。「あなたはもう読みましたか。あのパレアナという少女の話を」という会話が、山小屋でも都会でも、あちこちの喫茶店や公園で飛び交ったといわれています。パレアナイズムという言葉さえ生んだということです。強い意志と楽天主義、という意味でしょう。
小説とはいえ、素直な明るさと強烈な意志があれば、幸福なまちづくりは可能というひとつの希望でしょう。シンクロニシティは、たった一人から始まるのです。
自然界に起きるシンクロニシティ
ところで、このようなシンクロニシティは人間社会にのみ起きるのではありません。自然界、動物の世界にも起きます。
戦後間もないころ、故今西錦司先生率いる京都大学霊長類研究所が、宮崎県の海岸沖の幸島でニホンザルの餌付けをしたことがありました。しばらくサツマイモの餌付けを続けるうちに、それが成功して20匹ほどのサルがサツマイモを食べる習慣ができたのです。そのうちに一匹のサルが、海水でサツマイモを洗って食べるという行動に出ました。泥が落ち、海水がついてほどよい味になったのでしょう。それを見ていたほかのサルも真似し始めて、一気にサルのイモ洗い現象が拡がりました。幸島のサル全部がイモを海水で洗って食べるようになりました。
ところが、ちょうどそのころ、大分県の高崎山のサルも同じようにイモを洗って食べるようになったといいます。さらに、高崎山のみならず各地で同じような現象が起きました。海のないところでは、川で洗ってイモを食べはじめたというのです。何十キロも離れたところで、同じ現象が同時多発的に起きたのです。これらも自然界で起きるシンクロニシティとしていろいろなところで引用されている現象です。
もっと古くは、1917年、フィリップ・ローランによって「サイエンス」誌に発表された同調する蛍の光の報告があります。彼は、東南アジアを旅行したときに、ホテルから、数千匹の蛍が同じ周期で光るのを見て感動したといいます。まったく同じ周期で点滅する蛍は、いったいどのようなメカニズムで同調しているのでしょう。いまだに科学的に解明されているとはいえませんが、しかし、現実に自然界はシンクロしているのです。(「SYNC」早川書房)
シンクロニシティを起こす秘訣
宇宙には秩序がある。自然界には秩序がある。その秩序といかに同調するか。それが、人間社会における成功の鍵といえるかもしれません。
要は、企業活動であれ、まちづくりであれ、成功の鍵は、関係者の間でいかにシンクロを起こすかということのように思います。宇宙にも自然界にも、精妙な秩序がすでに存在する。それといかにコンタクトするかということでしょう。
鍵は、(1)本心から相手のことを考えること、(2)我見・我欲という執着を断つこと、この二つです。
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